【伊予国遠征19】伊予松山城その1東雲登城道

2020年2月23日(日)、三日目。
今回の伊予遠征、いよ伊予最終日となりました。
初日も二日目も2城づつしか行けてない。
本日も2城行くつもりですがはてさて?
御中に不安があるため、朝食抜きで駅前のホテルをチェックアウト。
チェックアウト後も荷物は預かってくれるということなので、バッグを預けた。


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↑左手に松山駅、向こうの建物が泊まったホテル
路面電車に乗る。
電停のベンチで買っておいたパンを食べる。
炭水化物だけならお腹にやさしいのです。
7時、出発!
電車のなかから松山城を見上げる。


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7時半、「警察署前」で下車。


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東雲町の「東署前バス停」
「東雲」は「しののめ」と読む。
本来は「篠の目」と書く。
東から上る夜明けの薄明かりが篠竹の目から見える
この篠(しの)の目に→東雲の当て字をしたのが由来です。

「東雲神社」


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東雲町の由来となった神社です。
急な坂と石段がありその左手に
正岡子規の句がある。


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ここは松山城の東北、つまり鬼門に当たるため、毘沙門天を祀った。
で、毘沙門坂と呼ばれるようになった。
そして、
加藤嘉明公騎馬像」


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松山城初代城主です。
海岸付近に松前(まさき)城があったが、嘉明は現在の松山城に築城した。
その時に城の名前を勝山から松山と改名、松山城は後に松平氏の領地になるけれどもその礎は嘉明です。

ちなみに嘉明の子孫は我が近江の水口城主として明治維新まで存続しました。
外様大名が、極めて重要な街道ともいうべき東海道筋に領地をもらった例は他に知らない。
本来、加藤家が家康の家臣だったというのが効いたのかな?

「東雲口登城道」


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十数年前に来た時はこの南のロープウェイを利用して登ったが今回は徒歩で登ります
まずは
「東雲神社」に参拝して安全祈願。


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本殿の形からし伊勢神宮を想起させられます。
江戸時代の城主久松松平家の祖先神が菅原道真で、道真を祀ったが後に伊勢神宮も祀るようになったとか。


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ロープウェイを横目に見ながら歩いて登ります

この看板
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「丸之内」が本丸、

「堀之内」が三の丸

二の丸は「県庁」の文字の左上付近になる。


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段曲輪?
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麓の市街地を見下ろす
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ここは竪堀だったかも?


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矢穴

東雲登城道は発掘調査されて石垣が発見されてます。

資材の運搬道として利用されてたそうで、登りやすい緩やかな傾斜地を気楽に歩けます。


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約15分でロープウェイの山頂駅に。


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07時50分
「長者ヶ平」
ちょうじゃがなる
↑難読ですよね。


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ここに住んでた貧しい男は正直者で後に大金持ちになった、という昔話があるが…

山頂駅はこの長者ヶ平の広い曲輪を利用して造られたようですな。

東雲神社や長者ヶ平は東の段曲輪群、出丸の役割があったように思います


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7時51分向こうに天守が見えてきました

いよいよ本丸、


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素晴らしい高石垣と黒い天守の対比がいい

 

凄い高さと造形美に圧倒されます


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その2「本丸」に続く

 

Φ(*^ひ^*)Φ

デイサービスで感染者があり、母は濃厚接触者として自宅待機となりました。

一週間、訪問リハビリ、訪問マッサージ、訪問歯科などすべての介護が中止となり、

まさに介護難民状態。

母と2人だけの逼塞生活、24時間息を抜けない介護、さすがに疲れました。

母も我が輩も症状は全くありません。

さらにPCR検査で母は陰性と判明されたので、ようやくようやく来週から普通の生活をおくれるようになります。

 

久しぶりに来週はどこかに行きたいが、体力がかなり衰えてるので、もう史跡巡りも山登りも難しいかな?

 

コロナめ!


馬《●▲●》助ヒヒーン♪