【塩津浜城】(長浜市西浅井町)、前編
2021年12月10日(金)
晩秋から雪が降る前に集中的に湖西や湖北を攻めました。
案の定、2週間後にどか雪となり湖北へ行くことは無理になりました。
今回は「塩津浜城」
古代より湖上交通で賑わった塩津港や塩津街道を見据える城跡で、地頭の熊谷氏関連の城と想定される。
国宝に指定された菅浦文書でも熊谷氏が登場します。
この菅浦争論では徳川家康の祖先かもしれない松平氏も熊谷氏とともに関わってます。
湖北の熊谷氏は有名な熊谷直実の系統です。
大河ドラマ「鎌倉殿…」では今のところ登場してません。今後も登場しないのかな?
道の駅「あじかまの里」に駐車し、
↓塩津浜城
塩津神社を目指した。
神社へは近江塩津駅から徒歩40分ほど。木ノ本駅行きの路線バスが停車します。
11時03分、「塩津神社」
登山の安全祈願した。
由緒書には宮司さんの名前が熊谷さんになってます。
子孫かな?
昔は神社の裏から山頂への登山道があったらしいが、現在は消滅してます。
で、例によって尾根道を直登り。
最近、尾根登りは得意です😁
神社から東へ向かいソーラーパネルの横付近を奥へ進み、沢沿いの適当な場所から尾根へ。
11時25分、1つ目の鉄塔。
この付近段々状の曲輪群あり、「南の出城」と言ってもいい。
薄いので自然地形と変わらないようだが…
背後に西側へ落ちる竪堀(自信ないけど…)があった。
↑竪堀が左へ落ちる。
画像ではわかりませんな
薄い堀切も…↓
堀切を越えると突然階段が現れる。
昔の登山道=参道の名残だと思う
これより主郭に突入です
11時36分「展望広場」
確かに見晴らしがいい
展望広場は主郭下の段曲輪という位置になる。
登山道が整備されてた頃は地元の人がここで展望を楽しんだのでしょう。
この上の段に2つ目の鉄塔。
ここが本丸の中心部で、「南の郭」と同様に段状の曲輪群が放射状に広がる。
鉄塔は土塁を跨いで設置されたような格好になってる。
鉄塔の右手の土塁の上に石碑。
なにか彫られてるようだがわからない
鉄塔手前に「愛宕神社跡地」の標柱があります。
礎石のような石も。
↑竪堀↓、わかるかな?
鉄塔の上、背後に薄い段曲輪群、薄い堀切状になってる。
そして、次がクライマックス!
この段曲輪の背後には明瞭な堀切があらわれます
土橋の右手の堀切
土橋↓
これは明瞭ですね。
左手の堀底から土橋を見る
頑張って登った甲斐があったというものです。
間違いなく城跡ですよね。
満足した所で鉄塔の所に戻り昼食にしました。
後編に続く
Φ(*^ひ^*)Φ
見頃はまだまだ先です。
とはいえ、桜祭りの期間中のため城内規制があり、通行止めや駐車場閉鎖の場所があるのでなるべく公共交通を御利用くださいませ
どら焼きを持つひこにゃん
平日にもかかわらずたくさんの見物客が来てました。
そんななか背後に見える登り石垣と竪堀を見てたのは我が輩だけ。
この登り石垣は券売所の手前にあるのでタダで間近で見られるのですが…😅
ちなみにこの日は甲子園で
この冬は大雪であまり練習できなかった。
補欠だし練習に気合いも入らないなか急遽、出場が決まり
大慌てで支度をして甲子園に向かい、準優勝までこぎつけた近江高校に乾杯!
馬《●▲●》助ヒヒーン♪