【塩津城(城山城)】(長浜市西浅井町)は山城ですが…、の巻
2021年12月10日(金)
13時16分
塩津浜公民館から塩津海道を北上しました。
塩津海道は琵琶湖の塩津湊と若狭湾の湊を結ぶ街道で往時は大層な賑わいだったそうです。
現在の国道8号線沿いに縫うように旧道が残されてる。
集落内を進むと
13時25分、切通道に。
別名「城ノ越」と呼ばれてる。
ここが塩津城跡です。
この切通道は、本来は山の尾根だったのを大堀切にした名残りなのか?
それとも尾根の窪んだ道が街道となり、それを見据える位置に城を築いたのか?
さてどうなんでしょうかねえ?
道の左側は金網フェンスがあるが、網が低くたわんでる所を跨いで中に侵入しました。
すぐに石積みがあります。城と関係あるのかどうか?
わかりません
背後の段曲輪状をよじ登る
登ると
堀切道側に高い土塁、
上下2段になってる
主郭か?
西側の中央に箱堀、
箱堀の西に土塁曲輪、
箱堀は南北に貫く。
広い堀底道のような感じ。
西側中央の土塁曲輪に登った
この曲輪は三段曲輪で南の三段目が一番高い。
この土塁曲輪の西側下に半円形というか台形の広い段曲輪↓がある。
3段土塁曲輪が上の段で西側下の半円形曲輪を合わせてこちらが「主郭」かな?
と思いました。
さらに西側下には帯曲輪、段曲輪がいくつかあります
↑半円形曲輪から下の段曲輪群を見下ろす
段々になってるのわかるかな?
帯、段曲輪群は主郭の北側と南側にも広がってる
北側の段曲輪群↑
箱堀の下の段になる
ま、尾根の先端の段曲輪は後世に耕作地として開発された遺構かもわからないですが…
で、考えるに中央を南北に貫く箱堀道は、もしかしたら旧の塩津海道で
現在の堀切道(城ノ越)は後世に造られた新道かも?
などと邪推しました。
素人の妄想ですが…
堀切道の西側は尾根の先端部になり、これだけの遺構だと山城とは言えない。
簡単に登れる平城です。
一番北側↓
↓北側の曲輪から堀切道を見下ろす
で、堀切道に戻り東側の尾根を見る。
少しだけ登ってみると段状になってました。
今回はここでやめたけど、さらに上のほうには詰城的な遺構が残ってるのでは?
Googleマップの城跡位置も山側になってる。
そんなわけで、いつかまた再訪して塩津城の山城遺構を探してみたいと思ってます。
以上、おしまい。
Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ
今年に入ってからの山城巡りで
通算10個以上、ボールペンを落とした。
クリップで挟んだり、紐を巻き付けて首から下げたり、色々と対策してるのだけど
ついつい落としてしまう。
困ったもんですわ😥
県内及び近県の山城でボールペンを見つけたら、その持ち主は我が輩なのでご一報を!
ま、100均の安いのをまとめ買いしてるから落としても大した損失ではないけど、縄張り図にメモ書きしてないと、後で見直すときにわからないから困るのよね。
ちなみに、縄張り図やペットボトルを斜面で落として、それを取りに行くために斜面を降りる時に滑落しかけたことが何度かある。
この前、若狭と美濃の山城でペットボトルが転がり落ちて拾おうとしたら、ずずず~と足が滑ってホントに危なかった😱
命にかかわるので山の斜面で物を落としたらあきらめるのが肝心ですぞ!
ゴミになって地域に迷惑かけるが、命のほうが大切だからね…😥
というか、物を落としすぎ、我ながら情けない
馬《●▲●》助ヒヒーン♪