【伊予国遠征25】今治城へ①

伊予遠征いよいよ最後となりました。

三日間アッという間、終わりに近づくと寂しいものです。

松山駅から今治駅に移動。

12時33分
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ゆるキャラバリィさんがお出迎え


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駅のロッカーに荷物を預けて

駅構内の案内所で観光マップget

福山駅へ向かう高速バスは予約不要で乗れるという情報を得て、

まずは一安心。

 

今治城へ向かう。

しかし、浅川と今治第一病院が見えてきた
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方向を間違えて駅の南側へ進んでしまった。時間のロス。

↓これが城へのルート
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マップでマーキングして行き方を教えてもらったのになんで間違えるねん?

毎度のことですわ。

そのために城まで30分もかかってしまった。

13時10分
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南国らしい景色、これだけでもう満足


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水城、海城ですね。
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橋を渡る
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本来は内堀に架かる木橋でした。

山城なら堀切土橋ですわ。

復元された山里櫓が正面に。

右手に復元天守


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高麗門を入る

 


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城跡石碑

 

枡形の広場から天守が向こうに見えるが
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Uターンさせて天守に背を向けて石段の坂を登らねばならぬ
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坂虎口、防御の基本ですな。

ちなみにこちらは搦手。

 

「山里門」
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振り返って見る

内堀は海水だが、淡水魚もいるそうです
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天守から見た山里櫓、内堀、木橋

 

門を入った所に「山里櫓」

二重櫓です。
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現在、美術館になってるので入らず。


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土塁の上から大手方向を見る


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二の丸広場に
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藤堂高虎公像。

宇和島城大洲城とともに今治城も高虎が関わった城です。

3つとも海沿いの平地の城。

縄張りは簡単ですが、意外に攻め辛い城なのです。

 

正門の「鉄(くろがね)御門」へ
実はなぜか肝心の画像がない。

撮影し忘れたようで、

いやぁ、我ながらあまりにも情けない


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パンフの画像で我慢すべし…

 

天守から見下ろした画像
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パンフの画像に加筆
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内堀に架かる土橋を渡り高麗門を入り右折して鉄御門を抜けて狭い空間を北上し突き当たりを左折して二の丸、本丸へと向かう。

この堅固な大手虎口、

枡形虎口は史上初めて今治城で完成した、

とパンフに書いてある。

ホントかな?

高虎は枡形虎口の創始者

何度も言いますが門も櫓もすべて復元されたものです。

しかしなぜか、高麗門は復元されてなくて、現在は中途半端な枡形です。

 

なお、二の丸に二の丸御殿があったが、現在は単なる広場、吹上公園になってます。

 

本丸天守へ向かう。


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次回に続く。