【山城、寺戸城跡】向日市
"2019年6月16日(日)
12時54分、
善峯寺から帰りのバス、向日町駅じゃなくて、寺戸バス停で降りました。
ちっちゃな公園があります。
『例慶公園』です。
目の前にコンビニがあるので、ジュースとパンを買って公園のベンチで昼食した。
道の向こうに見えるのは、向日神社のお旅所。
神輿を迎えることを列見と呼び、
この当て字として例慶になったとか?
『寺戸城跡』看板があります。
「古城や南垣内という地名から、室町時代にこの地域で活躍した竹田氏の城館があったものと考えられます」
と、書いてある。
この竹田氏は西岡被官衆の竹田氏。
西岡は桂川の西側の乙訓郡地域で、農業経済が発達していて小領主が多く、地域ごとに館城を構え大きな勢力だったようです。
室町幕府の被官として軍事力を支えてたようですが、次第に向日神社を拠り所にして一揆をおこしたりします。
この西岡被官衆を支えにして伊勢氏(後の北条早雲)、斎藤道三、松永久秀などの武将がのしあがっていった、
とも言われる。
ホンマかいな?
ま、それはともかくとして
少し高台になってるので、城跡らしいですが、遺構らしきものはこの公園のみ。
周囲には向日市役所、
五塚原古墳があるので、この付近全体が城跡だったのかも?
地名も向日市寺戸町古城です。
寺戸城跡看板の反対側を撮影するのを忘れたが、
「願徳寺宝菩提院跡」と、記載されてます。
願徳寺、本来はここに創建されたが、後に荒廃し、現在は西山の方に再建されてます。
「寺戸」という地名は、この願徳寺が由来だそうです。
コンビニの右手にバス停があります。
真っ直ぐ行くと向日町駅、西国街道へ行けます。
この後、実は道を間違えて、
大原野道を歩いてました。
方向音痴もいい加減にしないと…
軌道修正をしてやってきたのが、
『物集女車塚古墳』
"古墳時代後期、6世紀中頃の前方後円墳です。
実は数年前に向日市主催の古墳巡りに参加したことがあり、この古墳の石室内が特別に公開されていて入りました。
この詳細はまたいつかアップします。
なので、今回は横を通っただけです"
さらに物集女街道を北上します
ということはつまり、
本日予定の西国街道歩きから
どんどん離れてゆく、
ということです…
続く
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日曜日、山陰街道歩きの帰りに
電車内で飲んだ缶ビールの空缶とオツマミの袋を京都駅で捨てようとしたら、
ゴミ箱が封鎖されてた。
まさか、大阪のサミットの余波?
京都駅は関係ないと思うんだけどね。
結局、我が地元の駅まで持って帰りましたよ。
塩トマトが、ビールにあいました。
塩と砂糖の味付けが良かった
アルアル中です…
馬《●▲●》助ヒヒーン♪