【山城国、物集女城跡】向日市

2019年6月16日(日)

物集女街道を北上します


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淳和天皇火葬塚』

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物集女郵便局の裏の
民家の間の狭い通路を入る


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向日市のホムペの解説によると、
淳和天皇は、長岡京を築いた桓武天皇の第3皇子で、母は藤原百川の娘旅子です。 兄の嵯峨天皇の後を継いで皇位を継承し、嵯峨天皇の第1皇子の仁明天皇皇位を譲りました。
在位中は、政治改革を行うとともに「日本後紀」の編纂、「令義解」の作成を行いました。 承和7年(840)に55歳で死去し、遺言により火葬にして京都市大原野の西山に散骨されました。
ここは、天皇を火葬した場所とされています。」

宮内庁管轄なので中には入れません


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すきまから中を見る

昔は天皇家も火葬が多かったそうです。
火葬といえば、現在の上皇様が武蔵野陵の近くで火葬する、とおっしゃられてます。
あらたに陵墓造ると敷地や費用がかかるから、という思いなのかも?

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隣の駐車場から見る


さらに北上する


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小さな何もない公園にあるのが、
『中海道遺跡の豪族居館と祭殿』


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古墳時代初期の祭殿跡が発掘調査で発見された。
たぶんこの敷地の下に遺跡が保存されてるのだろうね。


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「中海道」、耳慣れない言葉ですね。
物集女街道の別名のような気もするが、海道は「垣内」が転じた、とも言われる。
垣内とは、館城や屋敷を意味するので、古代の豪族の居館跡があったと推定されますね。

いや、古代どころか中世にも居館があった。

それが、
『物集女(もずめ)城跡』


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解説によると、


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地元の土豪、物集女氏の居城。
西岡被官衆の一人。

現地は私有地のため立ち入り禁止。
自転車があり向こうで畑仕事されてる人がいたので、入ってもいいかお願いしようと思ったが、仕事の邪魔になりそうなので、やめた。

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左手に土塁のようなマウンドあり。


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ここが主郭の櫓跡か?


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マウンドの奥は堀のようにも見えるけど…

 


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↑右側が副郭で家臣屋敷だったのか?

 

現場はあきらめて
近くの物集女公民館に立ち寄った。

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事前の情報では館内に模型とパンフレットがあるらしい。

しかし、
日・祝日休館!

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入れません。

ガックリでした…

土曜日に来るべきだった。
事前の調査が甘かった。
いつもどこか抜けてる…


物集女街道は、西国街道と山陰街道を連絡する道。
街道沿いに史跡多いので、この道もいつか制覇しなければならない。

ところで、
物集女の由来は、
ネットで調べたら、

物を集める女と書いて「もずめ」と発音する。
地名の由来は、河内国大鳥郡の百舌鳥(もず)に勢力をもっていた一族が、この地に移り住んだことによるとされている。
「 物集女」はかなり古くから記録に出てくる地名で、9世紀ごろの記録には「物」と「集」の2文字だけで「もず」と発音していた事例も見られる。

百舌鳥といえば、世界遺産に指定される予定の堺市の古墳群。
向日市と繋がりがあるなんて、
びっくりポン!

でも、この説は眉唾のように思える。
単に語呂が似てるだけじゃないの?

物集女は、
古代の遊部、そして葬儀の泣き女・泣女・哭女との関連、という見解もある。
古墳群には泣き女が必須ですよね。

由来はともかく、
この地域は古代より農業経済の発達した地域で、水利交通においても重要な地域。

織田信長が、ここに勝龍寺城を築き細川幽斎桂川西側の地域統治させた理由は、西岡被官衆を抱き込み、西への押さえ、都の押さえとしたのではないでしょうか?

 

 

Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ

我が輩、梅雨入り生まれ。

我が地方、一向に梅雨入りしないので
やきもきしてたが、
本日、ようやく


ようやく
梅雨入り宣言でました。

 

また1つ歳をとりましたよ…

 

馬《●▲●》助ヒヒーン♪