【伊予国遠征14】大洲城その3

2020年2月22日(土)、二日目。
大洲城、本丸南側と二の丸の間の通路へ移動した。


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本丸の高石垣を見上げる。


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段になってます。
「ここから天守閣にあがれません」という表示が。
いいんです、我が輩は石垣が見たいだけなので。


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本丸の張り出した石垣。
石垣が斜めから真っ直ぐ立ち上がる。
いいですね。
いわゆる横矢掛けで、二の丸からの登城道をにらんでます。

横移動し狭い通路を苧綿(おわた)櫓へ向かう。


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だが、立入禁止!
この先へは行けないので下へ迂回した。


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「苧綿櫓」国重文


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二層二重。石落は黒い下見板張なのでよく目立つ。
苧と綿を保管してたのかな?
防御的には肱川につきだして横矢掛け、北側だけでなく南側の大手門をもにらむ位置です。
石垣は昭和34年に嵩上げされた。

嵩上げされる前↓


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苧綿櫓の近くに「神伝流発祥の地」碑。


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剣術かと思いきや、古式泳法のことでした。
甲冑を着たままでも水中を泳げる泳法です。
元和3年(1617年)頃に大洲藩初代藩主「加藤貞泰」の従兄弟である加藤主馬光尚(1617~20在藩)によって、肱川で創始された。
いざというときに役に立つのでもっと広く普及させてほしいものです。
ちなみに我が輩は全く泳げません

 

苧綿櫓から肱川沿いに石垣が延びてます。


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いい雰囲気ですね。
大洲市の意気込みを感じます。
護岸の石垣を見ながら川沿いを東へ向かう


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肱川大橋の下をくぐる

 

大橋を越えて
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左へ向かうと城下町ですが、右側には昔、船橋がかけられていたのでここが北からの出入口だったのでしょう。

東横町通りに入ると


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「おおず赤煉瓦館」
昔は銀行でした。

レンガ舗装の道


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城下町らしい雰囲気の街角


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レトロ看板


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正直言って羨ましい。
我がひこにゃん城下町にはほとんど残ってない…


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そして、「大洲まちの駅あさもや」


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雨宿りも兼ねてここで昼休憩しました。
例の腹痛が続いてるので昼食はやめて自販機の缶コーヒーだけ口に入れた。

すると、腹痛が治まりました。

いやゃ嬉しかった、です。

この時、ようやくわかった。
とにかく食べなければ身体の調子が良い、ということを…


次回へ続く~


馬《●▲●》助ヒヒーン♪