【伊予国遠征10】宇和島城その3、残念な一日目だった

2020年2月21日(金)

16時30分、
上り立ち門を出て、
南の方の史跡巡りをした。


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まずは
「伊達博物館」


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句碑がある


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「我が祖先は奥の最上や天の川」
この句は松根東洋城という人の作品です。
松根家は、山形の最上義光に仕え、現在の鶴岡市の松根城跡付近を治めてたようです。
後に伊達家の家臣として重きをなした。
東洋城という名まえにひかれて立ち寄ったが、「城」とは全く関係なくて本名の「豊次郎(とよじろう)」のダジャレで、とよじろう→とうようじょう→東洋城と名のったそうな。
芭蕉の影響を受けた俳人だが、明治維新では土佐の後藤象二郎とともに王政復古に尽力した人。

 

ちょっと余談になるけど、
昔、旧中山道歩きで岐阜県大垣市の赤坂に着いた時に、美濃赤坂本陣跡を探索することにした。
関ヶ原合戦の時に徳川家康が岡山に本陣を構えた。


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石碑の背後の山が岡山(勝山)。

その遺構が残ってるので登ろうとしたが寺の私有地で立入禁止になってた。


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それでもあきらめきれず山の回りを一周して


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お墓参りという顔つきで寺の墓地から登ったが、


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通せんぼ!
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途中で引き返しました。
残念だが、仕方ない。
その下山の時に、立派な墓碑を見つけて読んでみると「奥津城」という文字を見つけた。


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この山もしくは付近に奥津という城があったのか?
いろいろと調べてるうちに我が無知さを思い知らされた。
「奥津城」は「おくつき」と読む。
意味は神道でのお墓のこと。
お城とは全く関係ない。
なんでもかんでも「城」という文字についつい反応してしまう我が性分は、お城病ですわ…

余談終わり。

 

伊達博物館内に入りました(500円)。
高齢者割引で、400円でした。


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時節柄、伊達家ゆかりの雛人形展示がありました。
あまり興味ないのですぐに退出しました😅
伊達宗城侯像」


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宗城、「むねなり」と読む。
幕末から明治維新にかけて活躍した人です。
養子なので伊達家の血を受け継いでいません。


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宗城と西郷隆盛が会見した場所と松並木


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16時45分、
名勝「天赦園」 400円


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伊達家の藩主隠居所と庭園です。
閉園は16時30分なので中には入れなかった


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梅だけ見て通過。


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神田川の橋を渡る

宇和島藩城下町は、辰野川と神田川に挟まれた扇状地に築かれた。
天然の外堀と言ってもいい。
この外堀沿いに集中的に寺が配置されてるのは防御のためかもしれないですな。


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泰平寺の隣に


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大村益次郎居住跡」


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宗城が招いてここに住まわせた。
本来の名前は村田亮庵。
宇和島藩では米六俵扶持(給料)だったので
村田亮庵を蔵六と改名したそうです。
後に大村益次郎と改名し明治維新で活躍しました。

 

 

17時06分、お城へ引き返します。


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山の上に天守が見えます

 

税務署隣に


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「児島惟謙生誕地」


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ここの住所は堀端町。
宇和島城の内堀は五角形で現在の道路がその痕跡か?
だから内堀の外側となるようです。

和霊神社


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五角形の堀の角の位置にあり堀の内側です
この手前に追手門がありました。


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今夜泊まるホテルは神社のすぐ近くですが、その前に桑折長屋門に戻ってロッカーの中のバッグを取り出さねばならない

17時17分、長屋門に戻りました。

が、閉門されてた。
城山に入れない!
ロッカーのバッグを取れない!

天守のおじさん、6時まで開いてると言ってたのに!
で、手元のパンフを見たら冬2月までは17時までと書いてある。

おじさんに騙された~。


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どこか侵入できる場所が無いか、城山の周囲を探すことにした。

なかなか見つからなくて、
散歩してるおじさんに他の侵入口を尋ねたら、
一緒に探してあげる、と言ってくれたので、2人で五角形の道路沿いを一周しました。
当然ながら搦め手の上り立ち門も閉門されてました。
1人なら、どこかの隙間から直登りをしたかもしれないが、おじさんと一緒なのでそれはできない。

さらに日没で暗くなり、ここはあきらめました。
散歩のおじさんに礼を言ってお別れしました。
地元の方の親切に感謝です。

18時00分、
商店街の天ぷら屋さんで夕食。


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酎ハイとたらふく天ぷらを食べた。

しかし、これが大失敗。

「お城のロッカー」と「天ぷら」
この2つでこの日は最悪の結果となるのであった…

 

18時50分、ホテル。
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チェックイン。

荷物はリュックのみ。

着替えなどが入ってるバッグはお城のロッカーの中です…

 


次回へ続く~

 

日付が2021年になってました。

今気づきました。

遠征したのは2020年、

昨年の2月です。

 

遡って日付を訂正しました


馬《●▲●》助ヒヒーン♪