伊勢上平野(かみひらの)城

八風街道歩きが四日市でゴールしたので、

次は員弁街道(濃州道)歩きを始めました。

黄金大橋からスタート。

2023年7月12日

グーグルマップ


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冷川(ひえかわ)バス停
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阿下喜駅を結ぶ路線

本数は少ない


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冷川は外堀か?

少し進むと

すぐに


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右手の丘の上に城跡

三重県いなべ市藤原町山口字上平野
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解説板あり。

中世城館跡、

梅山氏の居館跡と書いてある

員弁川の河岸段丘先端に築かれた館跡です。


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解説板手前のこの付近から山へ


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この墓地から

舗装路を進む
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道路が草に埋もれかけてる

これは失敗、

遠回りして城跡がどこかわからなくなってしまった


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で、斜面を斜めに下ると


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土塁見つけた


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↑虎口


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土塁の外側に空堀

て、この画像ではさっぱりわからないですよね。

 

超低土塁なので、草に負けてる

夏場はダメですな。


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土塁のコーナー部分

手前が薄い虎口、

左側の低い部分が空堀

低いけど、この付近が一番高い場所

なんとか、土塁がわかりますよね

 


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土塁の外側に空堀が横堀として曲輪を囲む構造ですが、

草むらになってるので全体像がつかめない


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解説板付近へ直降りした

城跡は解説板の真上なので

解説板のすぐ裏から直登りしたほうが早い。

低い丘なので簡単に登れる

 

というわけで、イマイチの遺構でした


上平野城跡(いなべ市藤原町) - YouTube

 

Φ(*^ひ^*)Φ

先日の集中豪雨で、伊吹山の登山道が崩壊。

現在、麓から登れません。

ただし、

伊吹山ドライブウェイ経由で山頂へは行けます

ちょうどこれから伊吹山の薬草が見頃になるのですがね…

馬《●▲●》助ヒヒーン♪

安土城跡VR体験

NHK大津放送局で安土城VR体験会が開催されてので参加してきました。

 

テレビ番組の歴史探検で紹介されてた内容です

 

天守内部の映像と

城跡全体の映像があり、

ゴーグルをかけて別々に見ます。

我が輩は天守内部を見ました

昔、模型の安土城を作ったが、そっくりそのままでた。

あの時の苦労を思いました、です。


週刊安土城104号その壱 - YouTube

 

体験は

次から次へと来られたので、すぐに退散。

 

お土産プレゼントをいただいた。

ファイルとカタログ
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バッグ
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買い物に使うわ

 


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番組でお馴染み、

千田先生のシール
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撮影禁止なので、見学の様子の画像はありません。

 

内容はこちら↓

NHK大津放送局のニュース


安土城をVRで再現 NHK大津放送局で体験イベント|NHK 滋賀県のニュース

 

Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ

某お城アプリ、

ついに公式の山城の縄張り図が掲載されました。

 

現地で縄張り図付きのマップを見ながら探訪できます。

これはありがたいですね。


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ただし、今のところほとんどが中井先生の図で、

地域も限定されてる。

 

全国的にどんどん公開してほしいものです。

 

馬《●▲●》助ヒヒーン♪

 

 

大津天竺城

JR土讃線、布師田駅の隣の駅が

土佐大津駅」

布師田駅から徒歩で30分ほどなので無駄に時間待ちするなら歩いてもいいかも?

というか、始発に乗り遅れたために時間ロスした…


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地上駅で南側にしか改札口が無かったような…


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目の前に聳える小山が城跡です。

なお、道路には「とさでん交通」の路面電車が走ってます。


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登山口がわからなくて迷ったが西側に



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鳥居から参道を進む。

本来は帯曲輪か犬走道だったかも?

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上に段曲輪

余湖さんの縄張図では曲輪4付近


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祠のそばに井戸跡?手洗い場?

この上に曲輪3があります

そして、


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この大堀切が東郭(主郭)と西曲輪を分ける。

上に木橋か何かあったかも?
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まずは左手の曲輪3へ


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余湖さんの縄張図に加筆
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曲輪3
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帯曲輪へ降りたいけどひどい藪で断念。

真冬なら降りたかも?


土佐、大津天竺城②曲輪3、竹藪を進む - YouTube


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この先が曲輪4


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画像では何がなんだかわからないですよね

北側の帯曲輪に降りて横移動しようと思ったが
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さすがにこの竹薮は無理

大堀切まで引き返した

 

そして、

参道の階段を登る
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余湖さんの図では曲輪2
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神社裏から先程の大堀切を見下ろす

これは深い!


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神社の前に堀切土橋

この向こうが曲輪1ですが


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堀底参道に改変されて曲輪1は両側に分断されてしまった

神社の所に櫓台があったのか、それとも曲輪1に櫓台や土塁があったのか?

堀底道のためにわからなくなってる。


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下山してわかった
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国道に登山口がありました、トサ。

 

土佐大津城は

守護細川氏の一族で天竺氏の居城だったため

大津天竺城と呼ばれる。

長宗我部氏時代は最初に訪れた中村の一条氏を迎えたため、大津御所とも呼ばれた

 

岡豊城の支城として

南西に布師田金山城と大津天竺城が位置してるわけです
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この後、アンパンマンの列車で行くき〜

 

馬《●▲●》助ヒヒーン♪

佐治城に匙投げた、の巻

夏場はひたすら街道歩きをしてます。

最近は京街道を歩いてます。

大津市の追分(旧東海道分岐)をスタート、

山科から伏見へ向かい淀→枚方へ、ゴールは大阪市となる。

京街道東海道の延長として京と大阪を結ぶ街道です。

先日、山科勧修寺へ。


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街道は寺で左に折れ曲がって伏見へ向かうのだが、

ここで寄り道。

南へ向かうと明智光秀の胴塚。


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明智藪と首塚はすでに探訪済みなので、これで3つ繋がった。

 

この後、勧修寺へ戻り少し北上。

「佐治城跡碑」が、あるはず…

グーグルマップにも史跡として掲載されてます


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京都市のホームページの解説によると


YA057 佐治城碑

甲賀市の佐治城を拝む場所だったようで。

要するにここは城跡ではない、

単なる遙拝所。

 

だから、気が引けたのか、

現地の石碑は撤去されたようです。


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何もない↑

無いならグーグルマップ、削除すべし!

余計な石碑のために寄り道したため、先に進まないぞ。

て、責任転嫁するな?

 

一方、本家本元の甲賀市の佐治城跡は

4月に探索
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案内板あります


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何もない大きな曲輪跡
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実はこの森の中に遺構があるらしい



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↑堀切?

この奥の曲輪は民家なので入らず。


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縄張り図


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柵があり、奥へ入らず。

 

結局、池のある入口付近だけ見て撤退

 

しかし、

実は愛宕山付近から


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奥へ入れると、後で知った

 

もしかしたら安楽寺裏から入るルートがあるかも?
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Googleマップ安楽寺裏と不動明王付近にかけて城跡の遺構が残ってるとか?

 

うーん、下調べが甘かった。

 

いつか冬にでもリベンジしたいけど

 

京都山科の佐治城のこともあり、

なんか再訪する気にならない

 

佐治城はもういいか…

 

 

Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ

京街道歩きで久しぶりに

電車を利用したら

我が地元の駅のみどりの窓口が閉鎖されてた


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これからはみどりの券売機のみで対応ということか。

 

我が駅だけでなく全体的にこの方針だとか?

 

人手不足とか赤字対策とか色々事情あるでしょうが、

JR西日本は手前勝手!

会社の都合だけ。

 

お客様目線に立ってない。

切符買う以外にも窓口で尋ねたいことは色々ある、

それも鉄道の楽しみの1つ。

 

こんなことしてると

自分の首をしめるだけだぞ!

 

馬《●▲●》助ヒヒーン♪

 

2日目、まずは布師田金山城

今回の土佐遠征、国の旅行支援でホテル代を約3000円ほど値引きされてる。

これとは別に高知県のトク割があり、
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ホテルで1000円券4枚=4000円のクーポン券を受け取った。

スマホに入力したので店で画像を見せれば使える。

しかし、合算の仕方がわからなくて

結局、土産物に1000円使っただけ。

失敗した…

 

2023年5月10日

始発列車を乗り遅れ、2番目の列車に乗って最初に到着したのが

6時12分、布師田駅

橋上駅でそのまま道路に出られる。

たから、駅舎の建物の確認ができてない


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約15分で

ふれあいセンターに。


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ここは駐車場完備、

トイレは建物の裏側でオープン使用できます


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この場所は布師田御殿跡で江戸時代、山内家の参勤交代で本陣となった。


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伊能忠敬も測量に来てます
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もうこれだけで朝からテンション上がってる↑

 


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いざ登城開始
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山城なので今回は登山靴と杖、装備してのぞみました


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葉蘭は観葉植物として採る人があるのかも?

絶対に採ってはいけません。


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石積あり。

城跡とは関係ないでしょう。

 

そして、


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いよいよ城内です


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二の丸の下の二重横堀の一番下の横堀に到着!

 

中村城、岡豊城でも本丸は詰の段、

二の丸は二の段、三の丸は三の段と表示されてる。

土佐の言い方かな?


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現地縄張り図に加筆

 

堀底道を登る


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登った所は堀底=二ノ段

回り込んで


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詰の段の虎口を入る

 

「詰の段」
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本丸に土塁にあり

岡豊城と似た感じの縄張りです


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金山城は岡豊城の西南方向、国分川を臨む城跡。

守護の細川氏の家臣の石谷氏が築いたとされる。f:id:umahide:20230610145451j:image

その後、長宗我部氏の城となったのでその時の遺構を現在見てるのでは?


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次に長方形の曲輪


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二ノ段の背後の二重堀切、斜面の二重横堀

ここが最大の見所!

テンションマックス!


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竪堀を含めると3重竪堀とも言える
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ここ何度も登り降りしましたよ。

 

西北尾根へ向かう

余湖さんの図では「奥の城」と記載されてる


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まずは二重堀切へ


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二重だが、画像ではわからないですね

布師田金山城③主郭南側二重竪堀 - YouTube

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曲輪1と曲輪2との間の堀切
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ここ危ないです
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堀切に倒木が埋まって、邪魔!


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奥の城は土塁囲みが無いので古城だったかも?

 

これより下山します


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最初に見逃した入口の二重竪堀

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大いに満足して
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無事に下山できました。

 

ここまで見て気づかれたと思うが、

竪堀、横堀、堀切、

いずれも二重、

 

どうしても二重にしないと安心できない

という城主の気持ちを受け取りました。

 

登山道は自然に整備されていて案内板充実。

真夏でも遺構を堪能できると思います。

 

素晴らしい城跡で、

今回の土佐遠征で一番気に入った山城でした。

 

馬《●▲●》助ヒヒーン♪

 

 

 

 

 



 

 

 

 

 

比江山城跡〜土佐神社へ。1日目終了

躊躇したが、山頂の神社へ向かう参道がどこかにあるはず、とりあえず行ってみようと思った。

まずは日吉神社に参拝


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安全祈願した
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奥へ進むと切通道が。
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マップを見ると
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↑から破線の道を行けば山頂に行けるはず。

でも、切通道は激藪となり、先へ行けそうにない。

もう一つ東寄りの破線道もトライしかけたが、杖も登山靴もない(駅のロッカーの中に置いたまま)軽装備で直登は極めて危険。

悔しいけど諦めた。

下調べも無しにマイナーな城跡へ登るのはダメですよね。

戻って、

永源寺へ参拝
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滋賀県永源寺があるので、

その名前に惹かれたから。

鬼門の位置になるそうです。

 

奥の墓地へ。
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山内氏家臣乾家の墓地


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基本的に卵塔はお坊さんのお墓を指すのですが。


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で、この奥を抜けると

 

なんと、
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いやぁ、びっくりポン!

人間諦めが肝心とは言うけれど、

往生際の悪い執念は道を開く!


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山頂の比江山神社到着
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長宗我部氏の岡豊城の東の支城として築かれたようです。


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右手に土塁がありますね。

 

下の段から神社のある土壇を見上げる
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神社の奥は藪
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おそらく横堀あるいは堀切があるはず。

さすがにこれ以上は断念しました。

 

これは参道の石積。

城と関係ないと思う
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ここまでのまとめを動画に↓


【土佐比江山城】南国市 - YouTube

 

この後、国司館跡へ


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土佐日記で有名な紀貫之国司として赴任した館跡


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万葉公園になってます


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これにて国府関連の史跡探索終わり

 


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土佐神社を通るバスはどれ?

バス停にいた女性に聞いたら

土佐神社?…』

『あ、一宮神社ですね』

どうやら地元では一宮神社と呼ぶのが一般的のようです。

そして、
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土佐の総鎮守
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国重文の楼門

山内氏が再建した

裏側は工事中でした


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こちらも国重文
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本殿、国重文
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牧野さんがこちらにも。


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トンボ様式の社殿


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元親さんの再建

 

これで、土佐の国分寺国府、一宮神社

3つを制覇!

四国では阿波国とともに土佐国をコンプリートしました。

讃岐国伊予国も制覇しなきゃ!

再びバスに乗る

ちなみに最寄りのバス停は「一宮神社前」、

最寄駅は「一宮神社駅」

どちらも「いちのみやじんじゃ」と読んではいけません。

正解は

 

いっくじんじゃ

 

一宮は「いっく」と読みます

びっくりポン!ですね。

最初、「いっくじんじゃ」とバスのアナウンスがあり、なんのことかわからなかった…

 

 

18時22分

日没間近です

高知駅到着

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アンパンマン列車が停まってる

翌日乗ります


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土佐の3偉人じゃき!

 

駅近くのホテルに泊まり、

長い一日目終了。

 

3万6千歩、歩きました

疲れました。

 

Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ

はてなブログ、毎回ログイン画面が出るようになった。

一方、クリックしても記事をなかなか見られないことがある

 

どうした!このブログは?

 

馬《●▲●》助ヒヒーン♪

 

土佐国分寺、国府跡へ

岡豊城探索後、

少し史跡見学


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元親の次男の墓地かも?。


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さらに西の場所に


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親和がこの一族の墓と別だったのはなぜかな?


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さらに登ると岡豊城西側の3重堀切の先の鉄塔が見えた。

こちらからも登れそうな…


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これより東へ向かう

少し距離があります


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痕跡なし。


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南下します


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厳島神社はたいがい湿地、水辺に造られることが多い


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お遍路さんが来られてました
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数年前に阿波国分寺に参拝したので

土佐国分寺と合わせて四国では2つ目。

 

四国お遍路さんの道は29番国分寺〜岡豊城跡を通って30番善楽寺へと繋がる。

国府に近い岡豊城の位置の重要さがわかりますね。

 


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金堂は長宗我部元親親子が再建
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大師堂は山内家が再建


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疲れたので、総社で缶コーヒー休憩

 

さらに東へ向かう



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遺構はこの田んぼのなかに埋もれてるようです
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国司さんの館跡へ行く前に寄り道
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比江山は比叡山にちなんで名づけられた
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この解説板を読むと比江山城跡の文字が。

 

これは想定外!

突然現れた山城跡。

登山の装備してないので、マイナーな城跡に立ち寄るのはダメ、

でも、そこに城跡があるのにスルーするのは

気が引ける、

 

ウ~ン、悩んだ。

行ける所まで行こうかな?

山頂に神社があるようなのですが…

 

さぁ、どうする家康

 

いや、どうする馬秀?

 

続く〜

 

 

馬《●▲●》助ヒヒーン♪