土佐国分寺、国府跡へ

岡豊城探索後、

少し史跡見学


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元親の次男の墓地かも?。


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さらに西の場所に


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親和がこの一族の墓と別だったのはなぜかな?


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さらに登ると岡豊城西側の3重堀切の先の鉄塔が見えた。

こちらからも登れそうな…


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これより東へ向かう

少し距離があります


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痕跡なし。


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南下します


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厳島神社はたいがい湿地、水辺に造られることが多い


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お遍路さんが来られてました
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数年前に阿波国分寺に参拝したので

土佐国分寺と合わせて四国では2つ目。

 

四国お遍路さんの道は29番国分寺〜岡豊城跡を通って30番善楽寺へと繋がる。

国府に近い岡豊城の位置の重要さがわかりますね。

 


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金堂は長宗我部元親親子が再建
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大師堂は山内家が再建


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疲れたので、総社で缶コーヒー休憩

 

さらに東へ向かう



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遺構はこの田んぼのなかに埋もれてるようです
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国司さんの館跡へ行く前に寄り道
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比江山は比叡山にちなんで名づけられた
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この解説板を読むと比江山城跡の文字が。

 

これは想定外!

突然現れた山城跡。

登山の装備してないので、マイナーな城跡に立ち寄るのはダメ、

でも、そこに城跡があるのにスルーするのは

気が引ける、

 

ウ~ン、悩んだ。

行ける所まで行こうかな?

山頂に神社があるようなのですが…

 

さぁ、どうする家康

 

いや、どうする馬秀?

 

続く〜

 

 

馬《●▲●》助ヒヒーン♪