【伊予国遠征18】石手寺
2020年2月22日(土)、二日目。
湯築城探索後、日没後までに石手寺へ参拝することにした。
これは、10数年前に四国一周した時と同じパターンです。
ま、あの時はマイカーを寺の近くの有料駐車場に停めたが…
16時54分、
「子規記念博物館」
前回は立ち寄ったような…
今回は時間切れでパス。
正岡子規に関しては司馬遼太郎さんの小説を読んでる。
子規の晩年、妹の律さんが献身的な介護をしたのが有名だが、
その後の人生が紹介されてた。
小学校しか出てなくてまともに字が読めないが、子規没後東京の共立女子職業学校(後の共立女子大学)に入学。
卒業後は職員、そして教師となった。
退職後は母の看病に専念。
二度の離婚で不遇な人生と言われてたが、後に養子を迎え入れ子規庵保存会の初代理事長になった。
タフな人生を歩んだ女性としてドラマ化してほしい人です。
石手寺へ向かう
「日切大師」
「句碑」
誰かわからぬ
「山頭火の句碑」
♪わけいっても…
これは有名ですね。
山頭火の句碑は志布志市でも見かけた。
とにかく、通常の俳句を読まな桁外れな人です。
「高浜虚子の句碑」
子規の弟子ですよね。
コンビニの前に常夜灯
なんか、お遍路さんの気分になってきた
石手寺への橋
あと200m
「漱石の句碑」
子規の送別のための歌。
漱石と子規は東大の同級生で、松山で一緒に過ごしました
そして、17時03分
「石手寺(いしてじ)」
四国巡礼八十八箇所のうち、第51番札所。
遍路の元祖の寺ともいわれ、たくさんの参拝者で賑わってます
文化財の宝庫で、
国宝は二王門で、高さ7m、間口は三間、横4m、文保2年(1318)の建立、二層入母屋造り本瓦葺き。
重要文化財には本堂をはじめとして、
三重塔、鐘楼、五輪塔、訶梨帝母天堂、護摩堂の建造物と、「建長3年」(1251)の銘が刻まれた愛媛県最古の銅鐘がある。
今回で2回目。
四国で2回も同じ寺を参拝したのはここだけです。
さすがにこの時間になると、土産物屋さんは閉まっていてお遍路さんも少なかった
前回来た時は凄い人だったが…。
「祭芭蕉翁塚(花入れ塚)」
芭蕉没後77回忌にこの塚を建てた。
寺の参拝よりも芭蕉塚を訪れることができたのが今回の成果と言ってもいい
とりあえず、境内をぐるっと一周しました。
参拝後、同じ道を戻る
「義安禅寺」
姫塚の寺と呼ばれる。
入らずにパスしました。
レトロなボンネットバスが走ってました。
17時30分
道後温泉街に来ました。
「正岡子規像」がお出迎え。
俳人歌人として優秀だっただけに肺結核で34才の若さで亡くなったのは残念ですね。
超有名な句としては
♪柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺
ホントの所は東大寺の鐘だと言われてるが、やっぱり柿といえば法隆寺のほうがお似合いです。
法隆寺の拝観料は1500円。
日本一高い拝観料だと思う。
ま、貴重な文化財の宝庫なのでやむを得ないが…
坊っちゃん時計、
からくり時計です。
こちらも2回目
道後温泉の前のアーケード商店街
凄い人でした。
コロナまん延する直前だったからね。
道後温泉も行列ができていて一時間待ちと言われた。
待つのが嫌いな我が輩、文句なくパス。
アーケード街入口にある「一六茶寮」の二階で夕食。
一六タルトと鍋焼うどんのセット。
昼食べてなかったので、特に美味しかったです。
ちなみにこの日の夕食はこれだけ。
二階から道後本館を見る。
行列が減ったようですが…
食べ終わったら日没で真っ暗になってた
↑湯築城
路面電車に乗ったが、松山市駅行きだった。
運転手さんにJRの松山駅に行きたいというと、後から来る松山駅行きに乗り換えてくれ、と言って乗り換えスタンプを切符に押してくれた。
分岐の駅
寒くてぶるぶる震えながらホームで待ってましたよ。
以上で二日目の探訪終わり
翌三日目は旅の最終日です。
お腹に病気を抱えた身体で無事に帰宅できるだろうか?
不安がいっぱいのまま駅前のホテルに泊しました。
次回へ続く~
Φ(*^ひ^*)Φ
四国はお遍路、関西では「西国巡礼」が有名。
西国三十三箇所巡礼の33番札所は岐阜県揖斐川町の「谷汲山華厳寺」。
実は我が輩、約3年前から巡礼街道を歩いてます。
スタートは長浜駅、北国街道の長浜宿(現在の黒壁スクエア付近)。
市街地をまっすぐ東へ伸びる長浜街道(谷汲道と呼ばれる)を進み北国脇往還春照宿(伊吹山登山口付近)に合流、
ここから北上し、谷汲巡礼道を歩く。
小野坂峠を越えて、昨日無事に「華厳寺」に到着しました。
総距離約60kmを何回かに分けて歩き通しました。
ようやく、ですわ。
といっても、御朱印帳持ってないし一番札所から順番に進んでるわけでもないの不信心者ですが…。
猛暑日の平日ということで、参拝者少ない。
おかげで駐車場無料でした。
本堂から奥の院までは険しい山道を登ります。
灼熱地獄でツラかったです。
と言われそうですね。
ちなみに、
小野坂峠を越えて降りた所に深坂陣屋跡と深根陣屋跡がある。
どちらも街道沿いなので、寄り道して史跡巡り。
「深坂陣屋」は石碑と石垣を確認した。
「深根陣屋」は、藪藪藪。
奥の林道(草ぼうぼう)付近から陣屋跡遺構を探したが、見つからず。
早朝に雨が降ったため湿気ムンムン!
途中であきらめた。
街道に戻ると、背中から首筋が痛い、
なんか動いてるような気がする
触ったら、マダニがくっついてました。
発見が早かったので噛みつかれてなかったのが不幸中の幸い。
真夏の街道歩きも命がけですわ😥
馬《●▲●》助ヒヒーン♪