京丹波町【須知城】その①

"2019年6月23日(日)
13時49分、
琴滝の左手に

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『須知城』への登山口看板あり。
「すち」と読みたいけど、「しゅうち」と読むそうです。
本来は、「志内」、「志宇知」、「志宇智」と表記されてたので、
「しうち」と読んでたのでは?
その後、しうち→しゅうちに変化したと考えられる。
合併で須知村→須知町→丹波町、そして現在は船井郡京丹波町


登りました。
登山道は真っ直ぐ登るのですが、

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シダのために登山道がよくわからなくて、登りやすそうな右手へ向かった。

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すると、竪堀?堀切?出現!
わずか10分で早くも城跡。


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大喜びで、堀切を上から見おろす。
いいですね。


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石標あり。
読むと

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「右 直営…、左 部分…」
と書いてある。
意味不明。

 

この後、尾根上を東へ向かう。


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むごい状態!


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琴滝の上の方に来たようです

城跡の遺構は他に見当たらない。
登る時に東寄りに向かったのが失敗だったようです。

なので、先ほどの堀切を越えて西へ向かった。

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琴滝登山口からの分岐に来ました!

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ここから城内、ホッした。
いつものことながら、導入までに時間がかかる。

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というか、あの堀切はホントに堀切だったのだろうか?

城の遺構とは関係ないかも…

 

いくつか曲輪を進む

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7分ほど歩いたら、
一段高い盛り上がりあり!

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登ると内部は、土塁に囲まれた郭。

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「土塁郭」と名づけた。


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次の郭は、倍ぐらいの大きさがある。


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郭の中に岩、土塁があるので

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「岩土塁郭」と名づけた


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次の郭との間には、左へ落ち込む竪堀あり。

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さらに進むと、


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右側に土塁の高まりあり。
左側は低い削平地

「右土塁郭」と名づけた。
しかし、逆方向から見ると

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左土塁郭になる…
右側は、北東なので北東土塁郭と名付けるべきか?

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この郭の北西に
曲線を描く堀切が現れた

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「三日月堀切」と名づけた
左側は竪堀として急斜面を落ちる。
反対側から見返す↓


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東曲輪群はここまで


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次は、いよいよ主郭へ突入です

 

郭に名前付けて楽しんでるが、

ネーミングのセンスないな…


その②に続く~

 

Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ

本日は、

土曜の土用の丑の日

ウナギは今年も食べない…

 

Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ

ひどい風雨になってるが、我がひこにゃん市の湖岸では、本日と明日

鳥人間コンテストが開催されてます。

 

大丈夫かな?


馬《●▲●》助ヒヒーン♪