土佐中村へ行くぜよ、の巻

母のケアマネさんから、一週間の特別休暇をいただきました。

母はショートステイへ。

鬼の居ぬ間に我が輩は命の洗濯するぜよ。

 

京都駅から深夜高速バス

しまんとブルーライナー宿毛線に乗りました。

この路線、なんと高知市を通らない!

近くにも立ち寄らないという変な路線、

我が輩にお似合いですわ。

足摺岬宿毛四万十市へ行く人のためのバスと言ってもよい。

だから、席はガラガラ。

前日に予約したが、座席指定ができました。

後ろの席が空いてる所を予約。

なぜかというと、座席を目一杯倒せるから。

おかげで、いつもなら全く寝られないのに今回は約1時間ほど寝られました。

て、少なぁ!言われそう。

 

夜9時に出発、


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途中で淡路サービスエリアで休憩、


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しょうゆ豆を買った

翌朝、道の駅あぐり窪川で休憩。


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そして、7時中村駅下車。

10時間のバス旅でした。

 

最初の目的地は【土佐中村城】

駅から遠い。

次の列車の予定が迫ってるので、

ここは思い切って駅前に泊まってたタクシーを利用。


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運転手さん、色々と中村の歴史を語ってくれました。

高知市からかなり離れていて土佐のチベットや、と言ってました。

 

実は昔、マイカーで四国一周した時に雨のなか、佐田沈下橋を見学して中村市内のホテルに一泊したことある。

現在は四万十市だが、当時は中村市でしたよ。

 

タクシーが案内してくれた場所は、

為松公園前。


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ここは現在道路になってるが、

本来は為松城本丸、二の丸、桜の段を分ける堀切でした。


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ちなみに中村城は為松城、東城、今城、中の森など連郭式の曲輪の総称です。

 

二の丸には模擬天守のような資料館が建ってるが、曲輪は土塁が残されていて貴重な城跡遺構です。


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為松城跡の北側は動物園や遊園地になって遺構はほとんど残ってません


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北側の大堀切を見たかったが、消滅。


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詰城は団地となって壊された。


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残念だけど、一條氏の居館なのでどうしてもここへ来たかったのです。

 

一條氏は関白の家柄で、

その当主が応仁の乱を避けて土佐まで逃げ、

中村に土着。

約百年も続く戦国大名になりました。

関白の家柄の公家さんが戦国大名になった例は他に無いと思いますよ

 

続く

 

馬《●▲●》助ヒヒーン♪