石塔後谷城跡(東近江市蒲生町)

御代参街道歩きで、補完の探索するために2023年2月16日、栩原神社を再訪。

神社前に駐車した。
栩原は「とちはら」と読む
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街道をにらむ形で東側の丘に城跡がある、ということを知った。


正体不明の城跡で石塔地区の集落の背後にあると言うので
早速探索することにした。


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我が輩は歩いて入る。

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林道の東側に地蔵堂があります。

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堀はここまで。
堀は後に水路として利用されたと思われる。
堀跡ではない可能性もあるけど…
突き当たりの土塁と削平地は単なる耕作地だった、かもね。


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よくわからないので、あきらめる


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地蔵堂横の堀と土塁が林道で断ち切られたが、西側へ繋がってたのです

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南側下の民家の犬がうるさくて…
これが大きな失敗。
このまま先へ進めば城跡の南側付近の遺構を確認できたのに…

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幕末~明治初期にかけての地形図を見るとなんかありそうなんですよね。
うーん悔しい…


仕方ないので、林道を進み

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東側の尾根裾付近を入る


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山頂曲輪のようですが、
ほぼ自然地形



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病気です😅


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病気です😅


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この谷筋を降りてさらに西へ向かえば良かったかも?
これが二つ目の失敗

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引き返して北側の犬走を戻る

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犬走から
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雪が無ければもっとわかりやすいかも?

そんなわけで、

結局のところ

城跡の遺構はよくわからなかった


以上です😥

 

 

Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ

2月に、初めて信楽の城跡を探索した。

我が家から県最南端の信楽は極めて遠い。

母がデイサービスに行ってる間の約7時間がフリータイムとなる。

信楽まで片道約2時間弱、往復3時間半が移動に費やされる。

残り三時間ほどで現地探索しなければならない。

この時は小川西の城が広大な城跡のために約二時間もかかった。

残り約1時間ほどしかない。

昼食もとらずに空きっ腹で隣の小川中の城を探索、

本城ともいうべき小川城へは、行く時間無し。

あきらめて帰宅しました。

 

後日、改めて小川城へ向かった。

しかし、途中の日野町付近で国道が大渋滞。

信楽に到着は昼を過ぎると判断。

またまたあきらめて、予定外だったが、水口町貴生川付近の城跡を探索して終わりました。

 

小川城は来冬へ持ち越しです。

というか、この時期はどこもかしこも道路工事が頻繁にあり、なかなか行程通りに進まない

いやはや困ったもんですわ。

ましてや、青春18切符を利用しての電車遠征は絶対に無理。

そんなわけでもうそろそろ遠くの山城探索を終わりにしたい。

 

石塔後谷城のように近場のマイナーな城跡を探索するのが精一杯。

 

う~ん…


馬《●▲●》助ヒヒーン♪