鎌掛城(滋賀県日野町)その1「山屋敷」
2020年12月27日
下迫と上迫城から東へ向かい、日野町の山奥にあるのが鎌掛城。
「かいがけ」と呼ぶ。
甲賀市土山との境をなす地域で、御代参街道をにらむ山城と言っていい。
蒲生氏が音羽城の支城として整備し、後に蒲生賢秀が氏郷に家督を譲ったあとの隠居城とした。
9時17分。
「正法寺」しょうぼうじ。
別名、藤の寺。
今年の初夏に再訪した
大好きな藤棚が見事。
無料で見られます。
車は寺の駐車場に停めました
正法寺の裏は正法寺山がありハイキングコースとして整備されてます。
鎌掛城と川を挟んで真向かいの山なのでもしかしたら城跡遺構あるかも?
と思って登った
結果的には明瞭な城跡遺構確認できなかった。
では、鎌掛城へ
県道に進むと「屏風岩」「鎌掛城跡」「正法寺山」への案内板がある。
この案内図によると、「口の堤池」方面から登山道があるようですな。
しかし、今回はこの登山道は通ってない
本堂で登山祈願しました。
県道の看板を右折
少し進むと分岐に。
真っ直ぐ進むと池と正法寺山への登山口に行けます。
左下の道を進み沢へ
沢の水の少ない場所を渡る
「屏風岩」を見上げる
イマイチ映えない岩です。
この岩の上に城跡(主郭)がある。
だから、天然の切岸と言ってもいい。
こんな崖、登れませんわ。
沢沿いに戻り対岸へ。
【山屋敷】
土塁のある屋敷跡群があらわれます。
土塁の左手が外堀。
その外側は川なので天然の堀となる。
ふと、伊賀の平の沢城跡を思い出した。
「近江の山城ベスト50」の記述によると蒲生家の家臣が江戸時代ここに住んでいたそうなので、現在の山屋敷の遺構は中世や戦国時代じゃなくて近世のものという可能性あり、だということです。
山裾に上段、下段の段差のある曲輪群を土塁と横堀で区分けしてます。
曲輪群というか屋敷群
「近江の山城ベスト50」の縄張図
一直線の仕切土塁↓
この土塁を越えると
横堀です!
縄張り図拡大
こちらは藪なので
↑上下二段になってる
藪曲輪と名付けた
藪の中を歩いたが、夏場はダメでしょう。
この曲輪の上に大手道がある。
曲輪群をぐるっと一周して中央に来ると大手虎口らしき場所があり、
木に付けたリボンを頼りに登山道を登る。
麓の居館と山上の詰城を結ぶ大手道なのだと思います。
ただし、登山道は途中で消滅する。
少し急な場所もあるが斜面を適当に登ると尾根に出ます。
屏風岩の上です。
屏風岩を上からのぞいてみるがわかりません
先人の探訪記録によるとこの急斜面を登るのは危険と書いてあったが、自分的には、危険を感じることもなく楽に登れました。
尾根歩きは好きです。
ただし、岩盤の山なので登山靴必須です。
途中に岩盤やいくつか曲輪状の削平地があります。
約20分ほど岩盤道を登り
薄い堀切土橋を越え、
急登のちょっと恐い厳しい斜面を登ることになる。
最後の急斜面↑
ここはさすがに恐かった。
やっぱりこのルートはあまりオススメしません。
そして、
10時52分、「山頂」373mに到着。
鎌掛城の山頂曲輪。
曲輪①、主郭です。
その2に続く
馬《●▲●》助ヒヒーン♪