【鈎(まがり)の陣、陣所跡】栗東市
2013年1月26日(土)
滋賀県教育委員会主催の連続講座に参加した。
その時の記録ですが、6年前のことなので記憶が薄れてる。
間違ってたらごめんなさい。
JR草津線手原駅。
旧東海道を西へ向かう
100名近い参加者が練り歩きました。
葉牡丹が植えられてますが、とにかく猛烈な寒さで震えてました。
短い距離しか歩かないので、身体が暖まらない…
『九代将軍足利義尚公 鈎の陣所ゆかりの地』
義尚は日野富子の子。
応仁の乱で幕府の権威が失墜したので権威を取り戻すために
幕府に反抗していた近江の六角氏を征伐すべく自ら大軍を率いて栗東までやってきて陣を敷いた。
これが、「鈎の陣」
しかし、六角氏を征伐する前に義尚は陣中で病死、25歳の若さでした。
まさに若気の至り。
佐々木六角氏はのらりくらりと逃げ回って近江守護を維持しました。
上鈎東交差点から西へ向かい
国道1号線の高架下西側に。
B
A
↑上鈎寺復元図のA地点からB地点方向を見てます
ここが鈎の陣所跡と言われる。
竹薮の向こうの永正寺へ進軍する…
『永正寺』
本堂、
見てござる
解説板
土塁
土塁の外側の堀
藪方向見る
土塁の上から電車見る。
つまり、電車からも陣跡をしっかり見ることできるわけです。
スマホなんか触ってないで、車窓から陣跡を見てほしいものです。
寺を出て駅へ戻ります。
小さな水路も堀の痕跡だとか?
向こうにカップ麺のまんぷく食品の工場が見えてます。
最近、新工場ができたおかげで
栗東市の財政が豊かになり、
今年は国からの地方交付税不要の自治体になったそうです。
表札、
堀池さん…
講座資料
今回、永正寺付近の遺構を見学した。
発掘調査されて13世紀以降の遺物が発見された。
しかし、絵図は16世紀後半のもの。
永正寺は陣跡に建てられたが、現状は天正時代以降、豊臣秀吉時代に代官所が設けられた後の姿なのでほんとうにこの土塁や堀が鈎の陣所の時のままなのか?
なんとも言えないそうです。
以上おしまい。
Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ
↑この画像は、この時一緒に参加した某T氏が撮影しブログにアップされた。
寒そうにしてる我が輩の後ろ姿が写ってます。
ちなみに、このリュックは20数年使用したが、ついに先日廃棄しました。
帽子も破れたので新しいのに変えた。
この頃はまだ現役で、参加者のなかでは我が輩は若手、新人の部類でした。
日曜日になると滋賀県の探訪講座に参加して諸先輩の豊富な知識に触れるのが楽しみだった。
というか、毎日が日曜日で、平日の講座にも参加されてる諸先輩が羨ましかった…
馬《●▲●》助ヒヒーン♪