【草津市志津探訪①】無量寿寺~西方寺

"2017年06月03日(土)、
JRハイキングに参加した。
草津駅に集合し、
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草津市東部の『志津』地域を巡った。
『志津まちづくりセンター』青地町

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この地域の中心的な施設。
昼食休憩し、講座を受けた

ちなみに、草津市志津という地名はない。
志津小学校があり、志津学区になってる。
本来は栗太郡志津村で、合併で草津市の一部になった。
現住所では草津市追分、青地、山寺、岡本、馬場などの町がその範囲のようです。
この地域の総称ですな。

午後の探訪、
無量寿寺」

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創建は舒明天皇12年(640)5月。
天文年間1532年頃に再建された。

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『青地城』の西側を固める重要な位置をしめたと考えられてる

この後、巡る寺や古墳群はみな『青地城』の支城群とされる。

青地城に関しては、次回以降説明します。


境内に
「宝篋印塔」

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正安四年(1302)の銘が刻まれてるので鎌倉時代後期とわかる貴重な塔。
花崗岩製。

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詳細は解説文を読むべし。

 

この付近は丘陵になっていて
無量寿寺古墳群」。

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墓地の造成工事中に6世紀中頃の横穴式正室のある古墳が見つかった


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墓地に「北川静里」の墓

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青地町出身の学者で、幕末から明治にかけて博物学儒学、医学、歴史学を究め、県内各地の小学校解説に尽力。


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第2の近江聖人と呼ばれた。

ちなみに、近江聖人と言えば高島市のあの人です。
誰なのか?わからない人は調べるべし!

 

南隣の西方寺の墓地に移動

「楚活禅人(水野忠隆)の墓碑」

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水野主膳忠隆は、伊勢国菰野(こもの)藩の藩主土方雄豊の実母の兄・伯父。
実母は、前田利家の子。
菰野藩は、三重県滋賀県の県境にあり、12000石。
近江の青地に飛地があり代官所が設けられ、地元の青地氏が代官を務めた。
水野忠隆は余生をここで過ごし没しました。

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五輪塔に元禄11年4月2日と刻まれてる

 

 

「西方寺」


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延喜12年(912)創建。
本来は志津小学校前にあった。
1653年に現在の地に移された。

「西方寺鐘楼」

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慶長9年(1604)、建仁寺塔頭常光院に建立され、明治18年京都市左京区の壇王法林寺に移築。
そして、昭和37年に西方寺に再移築された。


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その②に続く

 


Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ

暦の上では秋になりました。

実際には今が一番暑い!

秋の実感は無いが、1つだけ秋を感じられることがある。

それは日没!

19時台だったのが、ついに18時台に突入しました。

日没が早くなると史跡巡りする時間が短くなるということなんですよね。

これから冬は東へ行けば行くほど日没が早くなる。

なるべくなら西へ行くべきですな。


馬《●▲●》助ヒヒーン♪