【大和長寿道①】若桜神社(谷城跡)

"2019年6月2日(日)

戒重陣屋跡は、あくまでも寄り道。
本来の目的は、大和長寿道を歩くこと。
と言っても、知らない人多いと思う

実はJRのチラシで初めて知ったのです。


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最近ぼけ化が進みつつあるので、その対策として誕生日記念に歩くことにしました。

桜井駅からボケ封じの寺社に立ち寄り畝傍駅大和八木駅まで歩く
直線距離にして約5キロです。


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桜井駅の観光案内所で、長寿道のマップを所望したら、
無い!
と言われた。

仕方ないので、事前にネットで調べた地図を頼りに歩くことにしました。

桜井駅から南に進む道に

歴史街道』の表示が。f:id:umahide:20190705220321j:image

 

12時10分、三宝稲荷神社参道

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左手に『桜の井』

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第17代履中天皇ゆかりの井戸。
磐余稚桜宮がここにあったとか?

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井戸のそばに桜が植えられてたので桜井。

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この井戸が桜井市の地名由来になった。

南隣に
『若櫻神社』

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参道右手に、若桜の井戸が復元されてる。

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さっきの井戸があるのになんでここにも造ったの?

 

「磐余稚桜宮伝承地の解説」f:id:umahide:20190705220746j:image

履中天皇が磐余(いわれ)で船遊びをしていた時に、杯に季節はずれの桜の花びらが舞い落ちた。
なので磐余稚桜宮と命名したとか?

本殿


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無事に長寿道を走破して、長生きできますようにお祈りしました。

そして、安部山城跡へ向かった


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その②に続く

 

Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ

実は、帰宅してTwitterを見たら、

奈良大学の女子学生かな?

「谷城」の縄張り図をアップされてた。

場所は、若桜神社となってる。

え、若桜神社?

 

画像を確認すると、神社の境内の後ろは土塁に見える。

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縄張り図によると土塁の後ろに堀切も残されてる。

いやぁ、やってしまった!

城跡の遺構がそこにあるのに、

見逃すなんて、情けない。

予備知識が無いと遺構を見分けられない迂闊さ。

まだまだ修行が足りない未熟者だとわかった

トホホのホですわ

 

馬《●▲●》助ヒヒーン♪