【伊予国遠征】その1、宇和島へ

2020年、伊予国へ遠征しました。その記録を紹介します。


2月のこの時期は母がリハビリ入院してました。
3月に退院予定だったので、今のうちということで愛媛県の百名城巡り遠征に旅立つことにしたのです。


2月20日(木)夜、新大阪駅阪急高速バスターミナル。

22時50分発、深夜高速バスに乗りました。


2月21日(金)早朝。

石鎚山SAで休憩。
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アンパンマン列車が停まってました


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ここから汽車で移動。


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7時11分発に乗り、
8時04分「宇和島駅」着。

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宇和島は祖父の故郷。

祖父はある日行商に出て関西に行き、我がひこにゃん市に住み着いたと聞いてます。

我が輩は10数年前にマイカーで四国一周した時に宇和島に立ちよった。
と言ってもその時は豪雨で、通過しただけです。


駅のロッカーに荷物を預ける。
続百名城の「河後森城」向かうのだが、次のバスまでに50分あるので駅近辺を散策しました。


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マンホールにも牛が
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龍光院
宇和島初代藩主伊達秀宗宇和島城の鬼門の抑えとして建立。
伊達家の祈願所となりました。


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西方向の宇和島城を見る。

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この寺は宇和島城の出城と言ってもいいと思います。


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時間が来たので駅前から8時54分発のバスに乗りました。
しばらく走った後、この辺かな?
と思い窓から北の方向を見ました。


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あの山の向こうに祖父の生家がありました。

現在は鬼北町ですが、合併前は広見町でした。
生家も墓も別の町に移ったそうで、もう広見町には何も残ってません。
なんか、寂しいですね。



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祖父はこのバス停から、もしくは予土線の近永駅から宇和島駅に向かい、近畿へ来たのかもね。


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9時40分、松丸駅前バス停で降りました。


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駅舎の中には河後森城の模型があります。


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パンフレットを貰っていざ城跡へ出陣!


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その2に続く

 


馬《●▲●》助ヒヒーン♪

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

マダニに噛まれた


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無理やり引き抜いた!

 

医者に行ったら3日間様子を見て、

なにもなければ良し!

なにかあれば救急車を呼べ!

感染症の毒が全身にまわりICUで生死の境をさ迷うことになる、

と言われた。

 

そういえば、昨年はスズメバチに刺されたしこの時期は危険がいっぱい。

 

虫の日の災難😭

 

馬《●▲●》助ヒヒーン♪

 

【白鳥越え】その5、北白川城出丸~ゴール

白鳥越え、ラストです。

というか、

アップするのをすっかり忘れてました😅

 

2021年2月28日


16時02分
瓜生山へ向かう


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トレイルNo.59-4


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これより北白川城の本丸、瓜生山城に入ります

山頂部が主郭で東西に段曲輪が広がる
北尾根は曲輪が無さそうです。


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南尾根は東西二本の尾根に段曲輪が並ぶが単純ではない。

特に西尾根の先端部には堀切があり手前にはミニ畝堀があるとか?

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↑西尾段曲輪群を見る。
尾根を降りたいが時間がないので今回はあきらめた



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山頂主郭



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祠がある。

「元将軍地蔵」
なので、将軍山城とも呼ばれる


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解説板、

 

トレイルNo.59-1

膝が痛くなりもうこれ以上の探索は無理でした。

いつかリベンジします。



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清沢口石切場

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足を引きずって下る

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下りは膝の負担が大きい

 


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トレイルNo.58-1

 


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夜船閑話発祥の地

 


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ようやく麓に来ました

 

16時51分

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病院の塀

 

そして、
16時55分

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ゴール!

 

9時に出発したので、約8時間の行程でした。


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もう体がボロボロだったが、
ともかく白鳥越え、制覇しました。

 


以上、おしまい。

 

Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ

先頃、中山道歩き難関の御嵩宿から大湫宿まで約20km、制覇しました。

ようやく、ですわ。

途中に駅もバス停もコンビニも店も自販機もない、ほとんど山歩き。

幕末、数宮様が通った道です。


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街道は20kmだが、最寄りの釜戸駅までは大湫宿から約5km、1時間ある。

つまり、合計25km、4万歩越えました。

 

おかげで、現在体調が悪い…😭


馬《●▲●》助ヒヒーン♪

【田中(上寺)城】上ノ城と田中氏館跡

2021年5月9日(日)
午前中、中江藤樹の里近辺を探索。
午後になると雨がやんだため、城跡へ行くことにした。
上寺地区へは安曇川駅から徒歩約40~50分です。
駐車場はありません。
我が輩は街道歩きも兼ねて歩いたけど、駅から上寺地区へのコミュニティバスあります。
レンタサイクル利用もいいと思います。

14時23分、上寺集落。

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案内板あるので迷うことはない。


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民家の小屋の入り口に城のパンフレットあり、頂きました。

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14時25分、城跡石碑。


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獣柵を開けて入りました。

田中城は高島七頭(佐々木氏系統)の田中氏の居城だったと考えられてる。
1570年、信長の朝倉攻めの時には秀吉・家康も立ち寄ったとか?
後に明智光秀がこの城を支配してるので、歴史上著名な4武将と関わりのある城だったわけです。


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中に入ると「順路」「帰路」の案内板が随所に建ってるので、その通りに進めば問題無し。


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「見張所跡」


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「曲輪」
などの看板もあり至れり尽くせり!
素人でもわかる。

曲輪がたくさんあるので看板が無いと迷いますよ。

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東端に

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「武者隠し」


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「土橋」


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この城は「松蓋寺」という寺跡に築かれた。
なので、上平寺城など近江でよく見られる城郭寺院の形式。


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入口からここまでの段々曲輪は坊跡だったと思う。

で、これより上が中枢部となる。
大きな郭の東側を進むと
「大堀切虎口」


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郭に入ると石段


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観音堂」があらわれる。


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登城道は観音堂への参道だったのです。


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主郭へはこれより険しい尾根の上を進む。


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尾根の北側に土塁あり、


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そして、土塁・空堀の上が
「主郭」。


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パンフには「天主跡」と記載されてる。
天守築かれたのかな?

櫓台↓
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北側の櫓台のような土塁の上には「つぶて石」が残されてます。


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琵琶湖の景色がよく見えます


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天気がよければ対岸の長浜城彦根城も見られるかも?

15時34分、
主郭背後の「堀切・土橋」


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城跡はここまで。

この後、水の手の井戸跡を見て急いで下山したが、
駅行きのバスに1分差で間に合わず、帰りも歩くことになりました。



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整備されてるので素人でも登れる山城です。

険しい尾根道もあるので、それなりの装備と覚悟も必要ですが…


帰り道、
「下の城跡(田中氏館)」
の南堀と北堀跡を探索。


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高島市教育委員会の資料。

発掘調査されて堀跡を確認されたそうです。


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南堀付近

 


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『畦道をうろうろする奴、誰や?』
と、農作業をしてるおじさんに思われたたろうな…


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北堀付近。

現状の遺構は田んぼのみ。


以上、

田中城の上の城と下の城跡、両方探索しました。

 

おしまい。

 

Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ
お叱りと顰蹙、クレーム覚悟で申し上げます。
ワクチン接種、なんで高齢者優先なのか?
我が輩は納得できない。
我々年寄り組は、病院・買物以外の移動は基本的にしない。
不特定多数の人との接触も少ない。

一方で、現役世代の人は家事・仕事で移動や接触は必須。
移動や接触は避けて通れない。
特に熟年層は社会の大黒柱。
彼らが倒れたら社会的に困る。
だから、ワクチン接種はまず先に医療関係者と熟年層を最優先にすべきじゃないの?
この先、高齢者が倒れても社会への影響は少ないが、将来を背負って立つ現役層が倒れたら国の根幹にかかわる。
経済が崩壊して年寄りばかり生き残っていては、ダメでしょう。

我々年寄り組は、遅かれ早かれ先が短い。
社会の重荷と言ってもよい。

細菌が進化し、現役世代の重症化が増えてる。
ヤバイです。
年寄りは後回しにして現役世代を優先的にワクチン接種すべきだと思いますよ。

そのためなら、年寄り組は捨て石となっても本望なのです。

て、こんなことを言うとお前は変人や!
と蔑視されるのだろうな…

 


馬《●▲●》助ヒヒーン♪

渋沢栄一と藤樹の里あどがわ

日曜日に琵琶湖の対岸の高島市安曇川地区に出かけた。
江戸時代の儒学者陽明学の開祖「中江藤樹」の里です。
近江聖人と呼ばれ、滋賀県では有名人。
社会の教科書にも取りあげられてるが全国的な知名度は低いだろうな…

子供の頃、両親に連れて来てもらって以来なので40数年ぶりの再訪です。


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藤樹神社


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藤樹書院

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藤樹の墓

など中江藤樹ゆかりの史跡が国道沿いに点在してる。
展示館があったのでのぞいてみると


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渋沢栄一」の企画展示がある。
え?どういうこと?なんで?
関係あるの?

なんと!渋沢栄一氏がこの藤樹神社に参拝されてました。
というか、栄一氏がいなければ藤樹神社は無かったかも?
だとわかった。

今年の大河ドラマに関しては我が滋賀県は関係ないと思ってただけに驚いた。

どんな繋がりがあるかというと、
近江聖人と呼ばれただけに村民としては神様の存在なので神社を建てることにした。
しかし、資金が集まらない。
そこで、とあるツテを頼って村長が東京に乗り込み、渋沢栄一氏に会い援助を懇願した。
すぐに快諾されて、なんと千円を寄付。
当時(大正11年)の千円は今なら二百万円かな?

千円だけではまだまだ足りないので渋沢栄一は当時財閥と言われた岩崎、三井、住友などにも寄付を呼びかけてくれて、無事に建立の資金が集まりました。
つまり、藤樹神社建立の立役者といってもいい。

いやぁ、驚きの事実を知ってなんか嬉しかったです。
大河ドラマゆかりの地としてドラマで放送してくれると、もっといいのですが…


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藤樹さんにちなんで藤が町のシンボルになってます
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国道沿いに道の駅
「藤樹の里あどがわ」がある。
ほぼ満車でした。
ナンバーをみると京都・大阪が多い。
コロナ対策として湖岸の駐車場はすべて閉鎖したので、休憩場所として道の駅を利用してるようだ。

というか、不要不急の県横断はダメじゃないですか!
菌を撒き散らしに滋賀県に来るなよ!

て、お前が言うな?

失礼しました…

 

 

 

馬《●▲●》助ヒヒーン♪

かんぽの宿、車中泊サービス「くるまパーク」を焼津、彦根、赤穂でも(Impress Watch) - Yahoo!ニュース


かんぽの宿、車中泊サービス「くるまパーク」を焼津、彦根、赤穂でも(Impress Watch) - Yahoo!ニュース

 

かんぽの宿、我がひこにゃん市にもあります。

ついに車中泊対応になりました。

 

朝10時に宿に到着て翌日の10時にチェックアウト。

料金は2000円也。

風呂トイレ売店レストランなども宿泊と同じ扱いで利用できるそうです。

 

道の駅は無料だけど、お風呂には入れないし売店も制約ある。

安全かつ便利でリーズナブルに利用できる点では、かんぽの宿いいんじゃないですか?

 

我が輩も将来、親の介護から解放されたら気ままに車で全国をまわりたい。

 

さて、いつになるかわからないけどね。

というか、親の介護が終わった頃には自分の身体がボロボロになって、どこにも行けない状態になってたりして…

 

Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ

スマホが壊れたので、

新しい機種に変更した。

同じメーカーの機種だが、やり方が全然違っていて難儀してます。

 

いやはや…

 

Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ


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ひこにゃんきんつば

甘すぎず意外に美味しかった、にゃん

 

馬《●▲●》助ヒヒーン♪

 

 

 

八幡神社の藤棚

甲良町在士の【八幡神社
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この時期、藤棚を見ないと気がすまない


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例年なら旅先で見るのだが、

今のご時世、それは無理。


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今年は地元近辺で鑑賞するしかない


甲良町役場近くの高虎公園

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藤堂高虎公像


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外様大名のほとんどが西国に配置替えになったなかで、

逆に四国今治から伊賀伊勢という重要な地に領地をもらった武将は高虎だけ。

それほど家康に認められた武将でした。

 

甲良町の尼子地区は出雲尼子氏の出身地でもある。

歴史的な史跡が残る地域です 

 

ヒヒーン